ARCADE MEMORIESアーケードメモリーズ

駄菓子屋ゲーセン時代の思い出や当時の店舗跡、 レトロゲーム関連資料、ゲームショップの店舗跡や資料を記録しています。

ゲーセンの記憶

【ゲーセンの記憶】キャラメルハウス(1981~1984)

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ここは、1981年から1984年にかけて度々通っていたゲーセンで、
閉店した地元の個人営業のスーパーだったと思われる。





店内には、20台以上のテーブル筺体があり、
どのゲームも">ちょっと前に流行ったお下がり"のようなタイトルが多かった。



ここでよくプレイしたのは、カネコのフライボーイというハンググライダーを操作する、
横スクロールアクション



やタイトーのインディアンバトル、




コナミのストラテジーXと言う
マニアックな戦車ゲームもあったのを思い出す。




ここには、駄菓子を売っていたり、
うどんなどのちょっとした軽食が100円(200円)くらいで、
食べれたので重宝したが、味はイマイチだった。



また、畳が敷いてあって寝転がりながら漫画が読めたりテレビが見れたりしたので、
小学生には、非常に居心地がいい場所だったように思う。



(自分は、当時中学~高校生だったのでそこまで居心地がいい雰囲気ではなかった)



経営していたのは、当時20代後半から30代前半くらいだと思われる青年で、
密かに「キャラメルハウスの兄ちゃん」と呼んでいた。





この人は、いつもベレー帽?をかぶり脚が不自由だったようで、
いつも方脚を引きずって歩いていたのが、痛々しかった。



なんとなくクセのある性格の人だったので、親しくはなれなかったが、
経営が大変そうな雰囲気が伝わってきて、心の中では応援していたような気がする。



その後、いつまで続いたのだろうか?



現在(2022年8月)は、警備会社の事務所になっている。





「キャラメルハウスの兄ちゃん」は、どうしているのだろうか?



今でも時折思い出す。










【ゲーセンの記憶】工業前と呼んでいた商店(1980~1984年)

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ここは、ある工業高校前にある小さな商店で、通称”工業前”と呼んでいた。



お店の片方の部屋は食料品や雑貨がびっしりと並んでいて、
もう半分の部屋にテーブル筺体が、
10台くらいと大型筺体が1台設置してあった。





1ゲーム50円で遊べるベームが多く入荷していたので、
頻繁に通っていた。





ここにはこんな、レアなゲームも入荷していた。





ゲームセンターあらしで一躍有名になった、





「ドラキュラハンター」







正直、グラフィックはしょぼいしゲーム性が高かったわけでもなく面白いとは思わなかった。
ゲームセンターあらしに取り上げられなければ、日の目を見なかっただろう。





データイーストのこんなゲームも印象に残っている。







「マンハッタン」というゲームを覚えている人がどれくらいいるだろうか?



というくらいマイナーなゲームで、
デコ坊やというキャラクターをトランポリンでジャンプさせて、
ビルの屋上に着地またはベランダ?に、
接地しながら下に降りてくると言う奇ゲーだった。





下の着地点に見事着地できると、手のキャラが現れて拍手してくれるのがよかった。





デコと言えば、こんな奇ゲーも入荷した。






「ディスコNo1」





これは、ディスコで踊っているギャル達を線で囲んでいくというタイトーのQIXをヒントに作られた(のかも知れない)奇ゲーだった。





黒服と魔女が邪魔をするが、線を消してしまう魔女が鬱陶しかった。





全囲みというテクニックを使って、楽に面クリするというテクニックもあったが、

後半の面では、難しくてできなかったと思う。





他に、







プロゴルフ



プロテニス




ロックンチェイス





などの初期デコゲーも一通り入荷した。





その他、印象に残っているゲームとして、



N-SUB(セガ)



サスケVSコマンダー(SNK)



ムーンパトロール(アイレム)



などをかなりプレイしていた。



また駄菓子屋ゲーセンの定番、コピー基板も多数入荷していた。



ギャラッグ(ギャラガのコピー基板)





ジグザグ(ディグダグのコピー基板)





レーサー(ポールポジションのコピー基板)





アミーゴ(アミダ―のコピー基板)





もっといろんなコピー基板があったと思う。





もちろん当時は、コピー基板などという認識は無くて、





「なんかヘンなタイトルになっているな~」





程度の認識だった。





ここは、ゲームの上手いヤツがよくいて、攻略の参考にしていた。
ただ見ているだけでも面白かったので、いつも長時間ここで過ごしている事が多かった。





商店なので、パンやジュースやアイスクリームがすぐ買えるのもありがたかった。





両替機は無く、おばちゃんに頼んで50円玉に両替してもらうシステム
というか、駄菓子屋ゲーセン系に両替機などは無いのが普通だった。





駄菓子屋ゲーセンとしては、いつまで続いていたのだろうか?





数年前までは、クリーニング店を細々とやっていた雰囲気だったが、





現在(2022年8月)は完全に閉店している。










【ゲーセンの記録】コインプレイランドマリック(福岡県筑紫野市)








80~90年代にかけて、幹線道路沿いでよく見かけたタイプのゲーセン。





色違い文字のタイトルが、いかにも80年代を思わせる。





90年代半ばに発見した時には、残念ながら閉店していた。(撮影は2000年頃)

中を覗くと、たくさんの筐体がそのままになっていて、
コナミのWECルマン(1986)の通称コーヒーカップ筐体があったのを思い出す。

隣にはゲーム筐体をレンタルしていたらしい会社があって、
大量の廃棄された基板や筐体が積んであった。

その後、2000年代初頭には建物も撤去されて別の会社の建物になっている。





【ゲーセンの記憶】小さな食堂ゲーセン(1980~1982年頃)

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かつては街中の至る所で見かけた、個人経営の食堂。



こんな小さな食堂にもテーブル筺体が置いてある事がよくあった。



喫茶店にテーブル筺体が置かれるようになった流れかもしれない。



この食堂の事を知ったのも口コミだった。



外から見ただけでは、そこにゲームがあるとは全く分からないので、
誰かが教えてくれないと、まず気が付かなかった。



ここは、そんなに頻繁に通っていたわけではないけれども、



タイトーのロッククライマーという、
クレイジークライマー人気に便乗して登場したゲームがあった。






まあオソロシクチープなゲームで、
突っ込みどころ満載だった。

他に印象に残っているのは、ナムコのキング&バルーン





バルーンが合体する所など、よく出来ていた。さすがナムコ完成度が高い。

王様の「ヘルプ~」「サンキュー」と「バイバイ~」が、やたらと耳に残るゲームだった。



ゲームをしていると、たまにオバちゃんが横から見ていて、
やられると「あ~残念」とか言いながら笑っていたのを思い出す。



食堂はとっくに閉店しているが、2019年現在当時のままの姿で、
建物が残っている。



【ゲーセンの記憶】場末のスナックゲーセン(1982年~1983年頃)

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80年代前半は、とにかくあらゆるところがゲーセンと化していた。





ここは、廃業したスナックがゲーセンになっていたところで、
場所は、神社の裏側の飲み屋街の一角だった。





誰からともなく口コミで伝わったと思う。





店内には、10台ほどのテーブル筺体があった。





ここでの思い出のゲームは、



ニブラー


一種のパズルゲー?

フィッシング(DECO)



プロゴルフの亜流?


バーニンラバー(DECO)



1台も破壊せずにゴールすると50000点の隠れボーナスがもらえる!
ただし激ムズ




写真は、10数年前に撮ったもので現在は、撤去されて駐車場になっている。









管理人
◆管理人◆こうたいし◆ アーケードゲームの黎明期の思い出を、 記憶遺産として記録するのがライフワークの一つです。
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